小石川後楽園

2月
15日

水戸徳川家の江戸上屋敷内の庭園。
1629年初代藩主頼房が庭の造営に着手し、2代光圀に引き継がれた。

明の遺臣朱舜水を儒臣として登用し、中国趣味を取り入れた回遊式築山泉
水庭園である。
園名は『岳陽楼記』の「天下の憂いに先じて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」から、後楽園と光圀が命名した。

小石川と冠したのは、1923年(大正12)であり、岡山後楽園と区別するためであった。

現在は都立の庭園として公開されている。(国指定特別史跡・特別名勝)

公式サイトはこちらです。


内庭
この庭園の中心的景観。
蓬莱島と徳大寺石を配し、琵琶湖を表現した景色を造り出したもので、昔はこの池で舟遊びをしたといわれています

大泉水のある景観 円月橋
光圀があつくもてなした明の儒学者朱舜水が計したといわれる石橋。水面に映る様子が満月のように見えるので、この名がつけられました。


屏風岩
仁堂
この建物は、光圀18歳の時、史記「伯夷列伝」を読み感銘を受け、伯夷、叔斉の木像を安置した堂です。得仁堂の名前は孔子が伯夷・叔斉を評して「求仁得仁」と語ったことによりる。

通天橋音羽の滝
都清水の『音羽の滝』になぞらえてつくられた。
は神田川上水をくみ上げていたが元禄の大地震で水流が流されてお間は大泉水から滝を復元させた

大堰川(おおいがわ)
京都の嵐山の下を流れる大堰川をなぞらえてつくられた
三大家光がしばしば足を運び大泉水の野設計とともに種々の助言を与えたと伝えられている。
江戸時代には清き水が流れて景観を引き立てていた。


後楽で見たお花
梅や桜の頃葉とても賑わい枝垂桜も有名です。
まだお花は少なかったです。

バイモユ 白梅
福寿 クチナシの実

蝋梅
猫柳
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