6月8日柴又界隈散策

映画寅さんでおなじみの葛飾区柴又界隈を散策してきました


柴又駅界隈は寅さんで持っているようなものです。
ただもう寅さんがいないので寂れていくような気持ちがしました


柴又駅から帝釈天の参道へ

駅前の寅さんの銅像 商店街の入り口
山田洋次監督の直筆の碑 映画の団子やさんと言われているお店
帝釈天の参道



帝釈天:経栄山題経寺(きょうえいざんだいきょうじ)
帝釈天は、寛永6年(1629)日忠上人の草創と伝えられ、本尊は、日蓮上人自刻の帝釈天の板仏です。この板本尊は長年行方不明でしたが、安永8年本堂再建の際に発見され、この日が庚申の日だったため、以来、庚申の日を縁日の日に決めたと言われています。

本堂
彫刻ギャラリー
帝釈堂内陣外側には、ガラス張りの彫刻ギャラリーがあり
、大正から昭和初期の彫刻師による「十二支」「法華経説彫刻」 などを、一般公開しています。
大庭園(邃渓園すいけいえん
昭和40年に庭園を大改修し、回廊式庭園として邃渓園と名づけ、一般公開しています。
また、庭園を望む大客殿には、大南天の床柱があります。


矢切の渡し

矢切の渡しは、江戸時代初期、地元民専用に耕作・日用品購入・社寺参詣などの目的のために、徳川幕府が設けた
利根川水系河川15ヶ所の渡し場のうちのひとつです。
この渡しが全国的に有名になったのは、明治時代に入り、伊藤左千夫の小説『野菊の墓』(1906)によって。現在川向こうの千葉県松戸市矢切側にこの小説の文学碑が建立されています。
このほか、昭和57年(1982)には歌謡曲『矢切の渡し』の大ヒットにより、再び脚光を浴びることになりました。

岸の向こう側に野菊の墓の文学碑がある。
土手にあった赤つめ草
土手のシロツメ草と鳩



山本帝
山本亭は、大正末期から昭和初期の時代の建学の精神が反映された建物で、和洋折衷の建物と純和風の庭園とが見事に調和されています。
 この建物の持ち主であった山本家は、もともと浅草に住んでいましたが、大正12年の関東大震災で被害を受け、その直後に柴又のこの地に移転してきたそうです。
建物は、木造瓦葺き2階建てで、床面積は1階120坪、2階15坪に地下室、土蔵、長屋門等からなっています。
 庭園は、縁先近くに池泉が、背後には緑濃い植え込みと筑山が配置され、滝を池に落とすという、270坪もの贅沢な書院庭園に仕上げられています。
 縁側に座って、庭園を眺めながら抹茶をいただ来ました。


ここで抹茶を頂きました。
庭園
玄関に合った屏風
当時使われていた人力車 庭園の池に咲いていた睡蓮


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