心地良い海風に吹かれて自然と歴史ロマンニ感動
平戸・九十九島長崎・天草シーサイド紀行。9月11〜13日


9月11日
羽田ー長崎ー有田ー平戸

有田
九州1の焼き物の里で皿山通りで有田焼きの陶器市が開かれる400年の伝統がある。



トンバイ塀. トンバイとは窯を築くときに使うレンガのことで、使わなくなった窯をこわ したときにいらなくなった古いトンバイがたくさんでます。 ... 窯元ではトンバイ塀を 高くして、焼き物作りの秘密が外から見えないようにするのにも役立ったそうです。

平戸

九州本土と平戸大橋で結ばれている平戸はかつて隠れキリシタンがくらしていたころ居間も随所にその面影を残している。

ザビエル記念聖堂 大そてつ 丘の上から見た平戸の港
平戸のホテルからの景色 ホテルからの朝焼け 郷土芸能


ジャガタラお春の言われ
バスガイドさんの説明

平戸は、正確には平戸島、今は平戸大橋が掛かっていて、車のまま行かれる
1609年、オランダ船が平戸に入港した。
幕府は平戸に商館を置き貿易を認めたため 貿易のほか、医学や蘭学が栄えキリスト教も伝来した。
年を追うごとに異教徒の 数が拡大するのを怖れた幕府は、1618年、平戸にオランダ塀を作りその中を居留地として外国人を住まわせた。居留地内の人口4000人のうち2000人が外国人だった。
初めは行き来は自由だったが次第に交流が規制され、一緒に歩いたり言葉を交わすことも処罰の対象となった。
それでも若い外国人と日本人女性との間に愛が芽生えることは防げない。
やがて生まれてきた子には、国外追放令が出された。
行く先はジャガタラ、今のインドネシア、ジャカルタである。
赤い花なら曼珠沙華、オランダ屋敷に雨が降る、濡れて泣いてるジャガタラお春”
 未練の出船の、あ〜鐘が鳴る、ララ鐘が鳴る”

追放令が出された時、お春さんは13歳、自分が乗る船を見つめ、雨に濡れながらドラの音を聞くお春さんの姿。その後ジャガタラへ着いたお春さんから、父母を恋い、故郷平戸を思う望郷の念を切々と綴った便りが、幾通も届きました。
けれど、お春さんは一度も平戸へ帰ることなく、いずこの地でどのように果てたかは
不明であるという。
“平戸離れて幾百里、綴る文は着くものを、なぜに帰らぬジャガタラお春”
サンタクルスのあ〜鐘が鳴る、ララ鐘が鳴る”

昭和14年作の「長崎物語」という歌は、こんなに悲しいお話だったのです。。
意味も分からずラジオから流れるのを真似して歌ってた、おませな子供の頃を
思いだしせつない気持ちになりました。
「ジャガタラお春」は「ジャカルタに追放されたお春さん」目からウロコでした。


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